「大阪都構想2.0」に身を賭けて
(著書「大阪都構想2.0~副首都から国を変える~」<祥伝社新書>の「はじめに」より抜粋)
 今、自分が大阪府議会議員でいることに、運命のめぐり合わせを感じる。
 私は政治家を目指して新聞記者になり、2002年の補欠選挙で衆議院議員になった。当時の自民党では2番目に若い31歳だった。
 だが、翌年には落選した。32歳だった。
 当選、そして落選、わずか1年の政治家生活の中で、自分の方向を決定づける言葉をいただいた。
「君たちは明治維新、終戦に次ぐ、第三の転換点に生きている。第三の転換点に何を成すかを考えなさい」
 薫陶を受けた中曽根康弘先生の言葉だ。激動の時代を生き抜いた政治家の歴史観が、浪人中の私の心を揺さぶり続けた。
そして、強い影響を受けた堺屋太一先生の著作を改めて読みふけった。一つの答えとして、行政機構の再編成の必要性が浮かび上がってきた。それが「平成の廃藩置県」、つまり「道州制」だった。
 明治維新を日本史の転換点たらしめたのは、「廃藩置県」という統治機構の改革である。大政奉還により、将軍から天皇に権力が移譲されただけでは、明治維新は日本の近代化の発火点にはならなかったであろう。
 大名によって統治されていた約300の藩が、廃藩置県によって現在の都道府県に再編されて初めて、中央集権体制が機能し、明治の三大改革が近代化の基礎となった。  明治の三大改革とは、「地租改正」「学制」「徴兵制」の導入である。つまり、年貢米が税金になり、寺子屋が学校になり、お侍さんが軍隊になった。統治機構改革によって、税制、教育、軍事が一新されたのだ。
 ここで重要なのは、古い地方制度を放置したままでは、税制、教育、軍事を根本から改革しようとしても、それができなかっただろうということだ。  こうして私は、これからの日本が、そして大阪が直面する多くの課題を克服する土台として、道州制の実現を自らの行動原理の中心に据えた。
 2005年に国会に復帰すると、道州制担当大臣の下で内閣府大臣政務官を務め、道州制ビジョンの策定に取り組んだ。さらには、自民党の道州制推進本部の事務局長として、道州制基本法の策定を目指した。
 民主党政権になると、超党派「道州制懇話会」を組織し、事務局長として奔走した。そこで、生粋の道州制論者であった堺屋太一先生のご指導を受けるようになったが、永田町では道州制の火はどんどんと小さくなっていった。
 その時期に東日本大震災が起こった。未曽有の災害を受けて、堺屋先生は『第三の敗戦』(講談社)という本をお書きになった。
「第一の敗戦は幕末、第二の敗戦は太平洋戦争、そして、(バブル崩壊後の)下り坂20年の末に来た大震災が第三の敗戦である。ここで大改革ができなければ、なお日本は負け続ける」
 堺屋先生のおっしゃる「大改革」はどうすればできるのか。
そんな自問を続けていた時期に、地元の大阪で、大阪維新の会が「大阪都構想」を掲げて決起した。
 これに応えるべく、「大阪都構想」の根拠法となる大都市法の立案に中心的に関わった。立法過程においては、大阪府・市の特別顧問を務めていた堺屋先生から度々ご意見をいただいた。やりがいのある仕事だった。
「身を切る改革」をテコに大阪都構想を進める維新改革が、私には明治維新と重なって見えた。
 日本人が明治維新を誇らしく語るのは、当時の支配階級であった武士が、「身を切る改革」を断行したからである。廃刀令によって、武士の魂であった刀を置き、髷を切り、四民平等によってそれまでの身分を捨てた。300年以上にわたって身分を継いできた支配層が自らの地位を捨て、新しい国づくりを行なった。世界史を紐解いても、そんな例が他にあるだろうか。
 政治家が血を流し、役人が涙を流して初めて、民間が汗を流してくれるようになる。 「道州制によって明治以来続く中央集権を終わらせ、憲法改正によって戦後を終わらせる。維新が国政政党になればやれる」。そんな思いで、日本維新の会の設立に加わったが、その後は苦難の連続だった。
 日本維新の会は分裂を繰り返し、大阪都構想の住民投票は否決され、私は6期目を目指した衆議院選挙でついに落選した。
 そして、2度目の住民投票が暗礁に乗り上げた最中の2019年2月8日、堺屋先生が旅立たれた。最後に書き遺された本のタイトルは『三度目の日本』(祥伝社新書)だった。
 維新は追い詰められていた。たとえ、府知事と市長が立場を入れ替えて挑むダブルクロス選挙(2019年4月)で勝っても、大阪府議会で単独過半数を制しなければ、再度の住民投票は望めない。
 もっと維新の府会議員が必要だ。
 自身の地元の府議会選挙区でも、維新はそれまで1議席しかなく、2人目の候補者擁立が急務となっていた。
 堺屋先生の逝去から約1カ月後の3月5日、私は府議選出馬の記者会見に臨んでいた。
「一兵卒として、大阪都構想に貢献します」
 再度の住民投票はどうしてもやり遂げなければならない仕事だった。
「ケンタの2議席目で都構想が動く」と訴えた選挙戦に、有権者の皆さんはとても強い支援を寄せてくれた。
 結果は自身の衆議院選挙をはるかに上回る得票で当選。府議会でも維新は過半数を大きく上回り、再度の住民投票が決まった。
 本書が掲げる「大阪都構想2.0」は、副首都への第一歩、そして国を変える第一歩でもある。
「1度目の日本」(明治の近代化)、「2度目の日本」(戦後の経済成長)に次ぐ「3度目の日本」を実現するために。

令和2年7月matunami-name.gif


道州制思想論2015年2月掲載
 道州制は思想である。

 奇異に聞こえるかもしれないが、私は真剣にそう信じている。 わが国は現在、世界最速の少子高齢化、人口減少、国際競争の激化といった大きな変化に直面している。小手先の政策では日本の未来に希望も安心も持てないことを、国民は知っている。

 そんな状況下で政治に求められることは、困難な将来に耐えうる「国のかたち」を示すことである。道州制によって何兆円の行政コストが削減でき、GDP換算でどれだけの経済効果が得られるかを示し、夢の持てる明確な未来像を描くことである。

 自民党道州制調査会は福田内閣の下で総裁直属の道州制推進本部に格上げされ、「第3次中間報告」を策定。さらに道州制を明確にマニフェストに盛り込んだ。

 推進本部で議論されてきた道州制は、一政策というよりも、明治維新や戦後の体制転換に近いものである。

 明治国家は廃藩置県によって、徳川270年の幕藩体制から中央集権体制への転換を果たした。そして中央集権体制は、明治期の近代化、戦後の経済復興を果たして使命を終えた。地方分権体制への転換をこうしたパラダイムシフトと呼ぶにふさわしいものにするには、いわゆる地域主権型道州制の導入が不可欠である。

 究極の構造改革と言われる道州制だが、私は主に三つの側面を重要視する。政治改革、行政改革、日本人のマインド改革である。

政治改革
 平成の大合併によって、首長、地方議員合わせて約1万7000人が職を失った。まさに行政組織の合理化のために政治家は身を捧げたのである。 一方で国会、都道府県議会はこれまで、小幅な定数削減しか行っていない。国会のあり方、さらには道州議会のあり方を国民が納得できるかたちで示さねばならない。

 国の機能を外交、安全保障、社会保障政策、通商政策などに限定すると同時に、参議院のあり方や選挙制度を含めた政治改革を行う。分権に応じて議員数を削減する。現在の半数程度で機能するとみられる。

 関西の府県会議員は約400人、市町村議員は3000名を超える。道州の創設やさらなる市町村の合併にともなって、人口や地域性に応じて地方議員を大幅に削減する。一方で、道州議会には協力な権限を与える。


行政改革
 平成の大合併で3300の市町村が1800に再編され、行政コストが年間1.8兆円削減された。さらなる市町村合併と都府県の統合、さらには国の出先機関の大部分を道州に統合させ、二重行政を解消。日本経済団体連合会は、道州制によるコスト削減効果を5兆8000億円と試算している。

 自衛隊員を除く国家公務員33万人のうち21万人は、地方の出先機関に配属されている。権限、財源に加えて人間(国家公務員)の「3ゲン」を移譲するところが現在の地方分権と異なる。国家公務員の半数以上を地方公務員化し、行政の究極的な効率化を図る。

 財政調整機能は基本的に道州に移譲し、地域特性に応じた補助金行政を実現する。そのためには地域経済の自立が必要だ。 道州をGDPの観点から見ると、関西はカナダと同程度、九州はオランダ、北海道はデンマークというように優に一国の経済力を誇る。経済圏を道州単位で強化しなければ、東京一極集中はいつまでも是正されず、ましてや国際競争にも太刀打ちできない。 第27次地方制度調査会は昨年、日本を10前後の道州に区割りしたうえで、司法については現在の一体性を保つという、いわゆる連邦制と一線を画した日本独自のシステムを提言した。


日本人のマインド改革
 明治維新において、武士は髷を切り、刀を廃し、自らの身分を投げ打った。同様に今こそ政治家が血を流し、公務員が涙を流してこそ、初めて国民は懸命に汗を流してくれるのではないか。 地域主権型道州制という歴史に刻まれるべき大きな体制変換は、政策転換というような生易しいものではなく、一本筋の通った政治思想とでもいうべきものであるべきだ。近代において最も輝いた時代の日本人のマインドを取り戻すことが、道州制導入の過程によって、実現できるのではないだろうか。 政治家にとって身を捧げるに値する大義が、地方主権型道州制にはあると信ずる。

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